何よりもまずしっかりとした母国語を 子どもの早期教育について②

今日は比較的落ち着いた一日でした。

珍しくアポイントが1件も入っていなかったので、ひたすら事務作業。

黙々とこなして、あっという間に17時。

久しぶりに定時で上がらせてもらいました!

娘も、早く迎えにいったからか、ご機嫌で、夕食時にぐずることもなく、私も楽に過ごせました。

夫が忙しいので、帰宅後のワンオペ状態はしばらく続きそうですが、今週は3連休なので、頑張って乗り越えていきたいです。

 

さて、先日のこちらの記事の続き。

幼児教育、というか乳児教育? 子どもの早期教育について①

私は基本的にはあまりにも早期の教育は不要と考えています。

その結果に懐疑的だからです。

超早期教育を受けたグループと、そうでないグループ、それぞれどんな大人になっているのか、国を挙げて追跡調査してほしい。

とくにその効果に疑問を感じるのが、英語です。

まだ日本語もおぼつかない赤ちゃんに、英語のCDを聞かせたり、幼児期から英語教室に通わせたり。

耳の良い子どものうちに英語に触れるのは大事と、もっともらしく言われていますが、たかが週数回、1日数時間でどの程度効果があるのか疑問です。

我が子には、まずは何より日本語をきちんと習得してほしい。

なぜなら母国語が思考の基礎になるからです。

わりとオーソドックスな主張になりますが、私はこの考えを支持しています。

ただ、英語を母国語にするって考えなら、幼少期から英語を学ばせるのには納得します。

でもその場合は、英語圏の文化・思想をその子のベースにさせる意識で取り組まないと、極論ですが日本人を育てるつもりはない、そのくらいの覚悟でないとどっちつかずになってしまいそうに思います。

その「どっちつかず」の状態こそが、ジェネラリストなんだって考えもひょっとしたらあるかもしれませんが。

これからの社会は、今よりもっと、「英語が話せること」を当たり前に求められるようになるでしょう。

でもそれは、ネイティブレベルで話せることというよりは、自身の思想や意見を自由に表現できることだと思います。

綺麗な発音や自然な英語表現も大事なのでしょうが、自分を育てた風土・文化によって形成された唯一無二の個性を発揮することの方が、今後求められるんだと考えています。

完璧な英語を話す人々=英語を母国語とする大勢の人々なわけで、そこに張り合うよりも、日本人としての考え方や個性を売りにして、その売りをきちんと表現できる英語を話せるようになることを、我が子には目指してほしいです。

 

では、日本語をしっかり身につけるにはどうするべきか。

会話の相手の意図を読み取れる、相手にわかりやすく伝えられる、文章の意味を理解できる、明瞭でときには赴き深い文章表現ができる…

そんな能力を身につけるにはどうすべきか。

家庭での会話や読書が基本として挙げられますよね。

そこにプラスして、どんな学習をさせるべきなのか。

公文の国語は、上に書いた4つ(聞く話す読む書く)を全て完璧に網羅できるわけではないと思いますが、

国語の基本、読解力と、文字の習得には役立つと思います。

私は幼児期に、公文の算数に加えて国語も習っていました。

母の熱心な早期教育のおかげで、ひらがな・カタカナは早い段階で身に付き、漢字もある程度読み書きできました。

公文の国語は、文章から抜き出すだけで、自分で記述の表現ができないと言われることもありますが(もちろんレベルが上がると記述問題は出ますが)、

教科としての国語というのは、問題文に書いてあることを理解して、それにそった回答を書くのが基本であって、その初期段階が抜き出しなんだと思います。

だから、公文の国語で、抜き取りを徹底的に身につけることで、文章読解と記述(読み書き)の基本を、習得することが期待できるんじゃないでしょうか。

私は、公文の算数は嫌いでしたが、国語は好きでした。

面白い文章を読めるのが楽しかったからです。

公文教室にあった物語の本や歴史漫画を読むのも好きでした。

娘にも公文をさせるかはまだ検討中ですし、実際習わせるにしてもまだまだ先のことですが、公文の国語はありかな、と思っています。

 

かやこ

 

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